送信者 慈恩寺 |
今日も三重塔です。
3間四方29m
1823年消失。現在の塔は文政十三(1830)年、当時の大工棟梁、布川文五郎が京都・奈良に学び、自ら設計図を書き、14人の大工によって再建された。地方の一大工がこれほどの規模と技術を誇る塔を作り上げたことに驚いた。東北には船大工の流れ、気仙集団の流れもあるのでその関係も気になるところだ。
部材や費用は当時の僧徒、近郷近在の人々の浄財によってまかなわれた。寺に寄せる信仰の深さが感じさせられる。しかし近年檀家さんがいないとも聞いた。
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