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2010年11月13日土曜日

彫刻師 石田半兵衛邦秀

送信者 2010/11/3 浄感寺

凄い!

漆喰の神様 入江長八の菩提寺浄感寺の作品やなまこ壁を見に寄ったのですが

長八の竹馬之友石田半兵衛邦秀の彫刻のあまりの素晴らしさに声を失います。

また長八の彫刻の腕も凄い。鏝絵の腕はもちろんの事言うまでもない。

入江長八

天保4年(1833年)20歳のとき江戸へ出て御用絵師である谷文晁の高弟、狩野派の喜多武清から絵を学ぶ一方、彫刻も学んだ。絵画や彫刻技法を漆喰細工に応用し、従来は建物の外観を装飾する目的で漆喰壁に鏝(こて)で模様を描いていたものを、絵具で彩色して室内観賞用の芸術品に昇華させた。26歳で江戸日本橋茅場町にあった薬師堂の御拝柱の左右に『昇り竜』と『下り竜』を造り上げて、名工「伊豆の長八」として名をはせた。弘化2年(1845年)31歳の時に弟子2人を連れて生まれ故郷の浄感寺の再建に係わり、鏝絵を作成している。天井に描いた『八方にらみの竜』は傑作とされる。(2007年現在、浄感寺の本堂は長八記念館となっている。)

入江は江戸に戻り、東京都台東区の浅草寺観音堂、目黒区の祐天寺などを含む多くの場所で傑作を作り上げたと言われている。明治10年(1877年)に第1回内国勧業博覧会に出品。 晩年、明治13年(1880年)にも65歳で故郷を訪れ、岩科町役場や岩科学校などで制作作業を行っている。明治22年(1889年)10月8日、深川八名川町(現江東区深川)の自宅にて74歳で亡くなる。墓は故郷の浄感寺と浅草正定寺の二箇所に設けられている。

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